インマヌエルの主と共に
• 浅田容子
インマヌエルの主と共に
マタイ福音書1:23
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。」(マタイ福音書1:23)
早 いもので今年も「感謝祭」が終わったら、「待降節(アドベント)」です。感謝祭にはマンハッタンの日米合同教会の「感謝祭デイナー」に参加させていただき ありがとうございました。やはり「感謝祭」そして「クリスマス」は家族とともにお祝いしたいですね。一人暮らしの者も「教会の家族」が与えられている者は 本当に幸いです!上記のクリスマス家族礼拝に皆様是非ご出席くださり、ご一緒に私たちの「インマヌエル」のご降誕を心からお祝いいたしましょう。「インマ ヌエルの神」とは、神が人間の手にも届かぬ天のかなたに君臨し、支配し、審き、恵みを与えられるという近づきがたい神としてではなく、一人の人間、ナザレ のイエスとなって、私たちの持つあらゆる苦しみや悲しみをそのまま経験し背負ってくださったということです。「イエスは・・・民の罪を償うために、すべて の点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできに なるのです。」(ヘブライ2:17-18)「神が共におられる」とは、クリスマスに二千年前のベツレヘムの馬小屋でただ一度だけ起こったことではなく、今 の社会で重荷を負って苦しみ呻いている私たちのために、いつも「今、ここに」神が常に共にいてくださるということです。健やかな時も、病む時も、喜びの時 にも悲しみにも、常に共にいてくださる「インマヌエル」の主を常に仰ぎ見ましょう!故・由木康牧師作の「讃美歌(121番)」にこう歌われています。これ は世界に誇れる素晴らしい日本の讃美歌です。「まぶねの中に、 うぶごえあげ、大工(たくみ)の家に、人となりて、貧しきうれい、生くる悩み、つぶさにな めし、この人を見よ。」(1節)「この人を見よ。この人にぞ、 こよなき愛は、現われたる。この人を見よ。この人こそ、人となりたる、生ける神なれ。」 (4節)我々の教会は小さくて弱い者たちの集まりですが、自分たちの「弱さ」を知っているがゆえに、いつも共にいてくださる「インマヌエルの主」にすべて を委ね、期待しつつ歩んでいます。このイエス様から常に新しく赦しの恵みと平安と力を与えられています。少ないメンバーゆえに、お互いの教会(信仰)生活 を裁きあわず、他の人の弱さと痛みを理解・共感し、イエス様と共に他の方々の痛みや苦しみを担っていける教会になりたいと願っております。クリスマスに は、淋しい友、悩める家族、痛める者たちとともに、クリスマス礼拝で、生ける「インマヌエル」のキリストに出会いましょう。アドベントから始まる新しい 年、小さくても我々にまことの「からし種一粒ほどの信仰」があれば、神様は大きな業をさせてくださるでしょう。「もしからし種一粒ほどの信仰があれば、こ の山に向って、「ここから、あそこに移れ」と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」(マタイ福音書17:20)