聖霊を受けよ!
• 牧師・ 浅田容子
聖霊を受けよ!
ヨハネ福音書20:21-22
イエスはまた彼らに言われた。「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす。」そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった。「聖霊を受けよ。」(口語訳、ヨハネ福音書20:21-22)
Happy Spring! 今、ニューヨークは春爛漫(らんまん)です! なんと見事な創造の御業でしょうか! 生かされている恵みを感謝せずにはいられません。5月はNYも風薫る緑の季節になります。ちょうど教会では「聖霊を待ち望む季節」です。「聖霊」は「風」とも「息(神の息)」とも訳せる言葉です。我々も新しい創造の息をうけて、さわやかに出発しようではありませんか!
こちらのTV(フジサンケイ)で、山崎豊子原作の「白い巨塔」が 放映され大好評のうちにイースターの頃に終了しました。私は大昔の放映番組で見たことを覚えていますが、今回の新作品の最後何回かを見て、改めて現代医療 や大学病院の問題ついて、癌告知や医師のあり方について、多くを考えさせられました。この小説が書かれたのはずいぶん昔で、今はかなり日本の大学病院や末 期患者に対する医療のあり方も改善されていますが、「医師の患者に対するかかわりについて」学ぶべき点が多くあり良い作品だったと思います。なぜなら、私 には医師と患者の関係はいつも「牧師と信徒の関係」を思わせるからです。イエス様はこう言われました。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(口語訳、マルコ福音書2:17)
病 人は医師に全き信頼を寄せています。特に、末期患者にとっては、最新の治療でも病が治らないと分かっても、なお、医師の診断・治療、何よりも病人に対する 暖かいケアーを求めています。キュア(根治)できなくても、最後までケアー(介護)する事が医師の使命であると、このTV番組は改めて教えてくれました。 ケアーで一番大切なことは、患者が納得するまで話しあう事、患者の不安を聞いてあげることです。ただ、「聞く: hearing」のではなく、「聴く:listening」事 が必要なのです。会話の内容よりも患者の感情を重んじる事です。病状の苦しさを訴えている背後の気持ち、即ち、「不安」や「つらさ」を受け止めてあげる事 です。医師や看護士は何よりも「良き聞き手」になる訓練が必要です。良き聞き手との会話によって、患者は不安や恐れから解放され、希望と勇気、さらに愛と 感謝、喜びを取り戻せるのです。
第二に、「患者と共にあること」が何よりも必要です。忙しい医師や看護婦は、ベッドサイドに 来ても、患者の目を見て語りかけるよりは、呼吸器や点滴器具、体温計や脈拍を見ることに集中しています。大阪大学名誉教授・淀川キリスト教病院ホスピス所 長:柏木哲夫博士はかねてからこのことを指摘され、ベッドサイドで医師は上から見下げるのでなく、ベッドサイドのいすに座って出来るだけ「共にいるよう に」と提案しておられます。医師はすぐに出て行ってしまうのだという不安な印象を避けて、患者と向き合い暖かく語りかけることが何より必要です。
柏 木先生は昔、大学病院での精神科病棟で研修の際、三年間の入院中一度も口を開かず、トイレ以外病室を一歩も出た事のない女性患者と接した経験を書いておら れます。あらゆる治療にもかかわらずどの医師も看護婦も彼女の口を開かせることはできませんでした。柏木先生は「患者と共にいることによって患者の心がほ ぐれる」とのアメリカの医学記事に啓発され、部長の許可を得てこの女性患者の病室に机を持ち込み、一日数時間そこで彼女に話しかけながら仕事をしたそうで す。しかし何の効果もなく一年の出張期間は終わりました。多くの患者や職員の見送りを受けて先生が病院を去る日、人垣の一番後ろにこの女性患者が来ていま した。一人の看護婦に手を引かれて前に進み出た彼女は、小さい声でしかしはっきりと「先生、ありがとう。さようなら。」と言ったのです。彼女はそのまま一 人で病室へ戻っていきました。部長も看護婦たちも信じられない表情で見ていました。柏木先生はタクシーの中でとめどなく流れる涙を抑えられなかったと書い ておられます。それ以後彼女は再び口を閉ざし、数年後肺炎で亡くなるまで一言もしゃべらなかったそうです。(柏木哲夫・道子共著「日ごとのふれあいのなか で」いのちのことば社pp.157-163)
柏木先生は別書でロンドンのセント・クリストファ・ホスピスのグリフィス博士の 言葉を紹介しておられます。「患者はわれわれの配慮と関心を求め、人間として認められることを望み、見捨てられることなく、たとえ短い会話しか交わすこと ができなくても、われわれが訪問し続けることを望んでいる。」(柏木哲夫著「生と死を支える-ホスピス・ケアの実践」朝日新聞社、p.193」
信 徒も教会に同じような心のケアを求めていると思います。余り忙しく活動中心のリーダーシップの牧師よりは、イエス様のように暖かく受け入れ、話を聴いてく れる「Caring Person」を求めているのです。私は5月でユニオン日本語教会に赴任して一年になります。今年は教会員への配慮(訪問など)に心と時間を費やすつもり です!お互いに家族や友人の傍らにいて心を傾けて「聴ける者」でありたいですね。あなたは良き「聴き手」ですか?
ヨハネ福音書に、十字架にかかられる直前にキリストが弟子たちに残された最後の約束の言葉が書かれています。不安の中にいる弟子たちにキリストは、復活後、聖霊を送って「いつまでも共にいてくださる」と約束されました。「私 は父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたとともにおらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。・・・わたし は平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせる な。またおじけるな。」(口語訳、ヨハネ福音書14:16-27、)
私たちはキリストがいつも傍らに共に居られるという信仰によって平安を得ることができます。孤独や死の不安の中にもキリストと共に闘い抜けるのです。キリストはこの決別説教を次のように締めくくられました。[これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたはこの世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(16:33)
復活後、父なる神のもとに昇天される時、キリストは弟子たちに次のように語られました。「あなたがたは行って、すべての国民をわたしの弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」(口語訳、マタイ福音書28:18-20)「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。」(使徒1:4)この主が約束された「聖霊降臨日(ペンテコステ)」は5月30日(日)です!