教会誕生の日

05月 30日 2004年 | カテゴリ: 未定 | コメント: 0 »

デーヴィッドグレイビール博士

教会誕生の日

使徒言行録2:1-4

「五 旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のよ うな舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。」 (使徒言行録2:1-4)

本日、「聖霊降臨日」に我々は、我々の教会即ち、イエスキリストの教会の誕生日をお祝いします。この日は、 ずっと昔最初の教会の誕生日に起こった出来事を思い起こす日なのです。その出来事とは、愛する者の誕生日を祝うために家族が 集まった時にするように、繰り返し何度も何度も語り合う話です。

思い起こす出来事とは次のような話です。イエス様は十字架につけられ、死 んで、墓に葬られました。しかし、ある人たちは彼の死後、彼に出会い、イエス様は彼らにエルサレムに留まって、力が与えられる聖霊を受けるまで待っている ようにと告げられました。彼らは七日間待ち、さらに七日間、ついに七週間待ちました。彼らはユダヤ人で違った所から集まって居り、異なった言葉を話してい たのでお互いになかなか理解できませんでした。

50日目に、突然風で窓々が開き、彼らは皆お互いに理解できるようになったのです。彼ら は、共に集まっている所に聖霊が激しい風のように吹いてきて、力に満たされ、励まされ、強められ、勇気が湧いてきたことを感じました。彼らはお互いにイエ ス様が語られた、貧しい人々や、弱者、囚人たちのためのあらゆる働き(ミニストリー)について語り合い始めました。たとえ人々の好評を得られず、権力者た ちが彼の言葉を好まない時であっても、イエス様は勇気があり常に真理を語られた事を思い出しました。彼らはイエス様を愛している事、彼に従って行きたいこ と、イエス様のようになりたいこと、イエス様がなさったような働きがしたいことを認識しました。そこで彼らは集まっていた二階屋敷を出て、地の果てまで散 らされて行ったのです。

これは、彼らとその子孫達、さらに霊的な子孫である今日ここにいる我々のためのものです。我々は教会です。我々も またあの日に激しく吹いてきた同じ聖霊によって力を得たのです。今日、我々はイエス様のストーリーを何百の異なった言葉で語っています。しかし我々が聖霊 によって力を与えられる時、最初のペンテコステの時と同じように、我々自身の国の言葉でイエス様の話を聞くのです。

神様がイエス様を通し て我々に与えてくださった、最も素晴らしいバースデープレゼントである教会、我々が属しているこの教会とは一体どのような所でしょうか?教会はあらゆる 人々を歓迎し受け入れるところです。女性、男性、幼児、子供、青年、高齢者、さらに障害者、富める者や貧しい者、教育ある者も無い者な

どあらゆる人々がいます。我々はあらゆる文化圏から、全ての人
種、 全ての言語そして全ての政治的党派の者たちを受け入れる所です。しかしこれらのあらゆる違いを持ちつつ、我々は聖霊において一つであり、正義を行い、慈し みを愛し、へりくだって神と共に歩む事、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する事に自分を捧げる事によって一つとされています。この疲れ、苦しみ、暴 力的な世界に対して、神様は我々に、教会において、また教会を通して何をすべきだおっしゃっているでしょうか?

今、皆様に次のことをお尋 ねします。誕生日のお祝いの時に、我々自身と我々の教会について、いくつかの痛みを伴う事実を思い起こすことは、悪い事でしょうか?神のみ心を痛めてきた 事柄を思い起こす事は悪い事でしょうか?我々の会衆は教会に来る事を求めている人々全てを受け入れてはおりません。男性たちは、時に、女性は教会で沈黙し ているべきで、二次的な立場でいなさいと命じています。富める者たちは時々彼らの希望通りにせよと要求しています。我々の多くの教会は戦争と悲惨な政府の 行動を祝福しています。この教会の誕生日に、教会ですべきではない事を行っている事を思い起こすことはいけない事でしょうか?端的にいえば、我々はバース デーパーテイーで悔い改めと新たな献身(誓い)をすべきではないかと思います。

私が子供時代はバースデーパーテイーで、家族たちは小 さな子供のバースデーのお祝いに、愛のしるしとして「スパンク(お尻をたたく)」を年の数だけ与えました。一年ごとに一つのスパンクを与えて、最後のスパ ンクは「大きくなるようにね(良い子になるように)」とお尻を叩くのです。叔父さんや叔母さんたちは誕生日が近づいた子供をからかって、「お前の誕生日に は捕まえに行くよ!」と言います。もし叔父さんが忘れてしまったら(子供を抱いてスパンクするのを忘れたら)、その子は失望するでしょうね。

のようにして時々我々も教会の誕生日に教会の欠点や過ちを思い起こしてはどうでしょうか。我々も我々の教会(即ち我々自身に)、愛を持ったスパンクを与 え、最後に成長するための願いを込めて「成長せよ!」とスパンクを加えましょう。それは我々が教会を深く愛しているゆえに、しても良いスパンクです。同時 に我々は教会自身(即ち我々自身)が、正義と慈しみと愛に対して心からの献身する決意をすべきです。

今日我々の世界と国家には実に 沢山のニーズがあります。この地域においてすら、飢えた人々やホームレスの人々が多くいます。ある人々はアルコール中毒や麻薬中毒にかかっています。刑務 所は満員でさらに建築中です。可能な計画案が提出されると、しばしば「わたしの裏庭に建てられては困る」との声が上がります。私が感激する事は、しばしば 教会の会衆が「結構です!教会の裏庭に作ってください」と申し出られる事です。多くの教会は飢えた人々の気持ちを実感しています。また、ある教会はホーム レスのシェルターに開放しています。ある教会は無名のアルコール中毒者に定期的に教会を使用させています。刑務所訪問プログラムや服役者たちが社会復帰で きるよう迎え入れるプログラムを作っている教会もあります。このように、必要のある人々のために実地の働き(ミニストリー)を引き受けて実践している教会 を人々は愛するのです。そして、神様はイエスの模範に従っている教会を愛しておられると私は確信しております。

さあ、今日は我々の教会、神様が愛しておられる教会の誕生日です。皆でいつも誕生パーテイーで歌う「ハッピーバースデー」の歌を歌いましょう。” Happy Birthday to you (dear church)…Happy Birthday to you!”
(5月30日、聖霊降臨日礼拝説教)

「アッバ、父よ」

05月 28日 2004年 | カテゴリ: 未定 | コメント: 0 »

牧師浅田容子

「アッバ、父よ」

マタイ5:38-45

「あ なたがたも聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。・・だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬 も向けなさい。・・・敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなた方の天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい 者にも正しくない者にも雨をふらせてくださるからである。」
(マタイ5:38-45)

日、青葉が育って景色が変化する最高に美しいこの季節、創造主の御業を心からほめたたえます!詩篇には創造主なる神を讃える歌が多くあります。「主よ、わ たしたちの主よ、あなたの御名は、いかに力強く全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます。・・・あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。」(新共同訳:詩篇8:1 -5)創造の御業に畏敬の念を抱くとき、人間が如何に小さい存在であるかに気付かされ謙虚にならざるをえません。

一方、神様の創られたこ の美しい地球上では、恐ろしい戦争がますます泥沼化し、「目には目を」の悪循環を繰り返しています。イラク人捕虜たちへのアメリカ兵たちによる虐待スキャ ンダル報道では世界中が怒り、人権侵害の抗議の大きな叫びがあがっています。政府の謝罪弁明のインタビューが何と4時間も生放送されましたが、政府の謝 罪で償いきれるものではありません。「聖争」との旗印でイラクを救ってやるとのお節介は大きな罪です。
戦争現場では人間を人間と思わなくなる異常心理のもとで、殺人人権剥奪事件が繰り返されている事にアメリカやイギリスは
認め、早く撤退して戦争を終結して欲しいですね。

「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」と主は言われる。」(ローマ 12:19)

本政府もアメリカに加担して、あれよ、あれよという間に「世界に誇るべき平和憲法(戦争放棄)」を投げ捨てて戦争協力を始めてしまいました!日本人は誇り を持って、この「平和憲法第9条」を世界に示していくべきです。憲法改正の動きが活発化していることは真に憂慮すべき現象です。以下に記す「日本国憲法第 9条」をご一緒に読んで見ましょう

. 日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求
し、国権の発動たる戦争と、武力による威喝または武力の行
使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄
する。
. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを
保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日、キリスト教国と言われている国々は、他宗教の人々と如何に対話していくかを、真剣に考え学んでいかねばなりません。神学的にも、キリスト教以外の人々 は悪魔で抹殺するか、キリスト教に改宗させねば滅びてしまうとする神学では、これから地球上の人々と兄弟姉妹として共に生きていく事は出来ません。

「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1)
「神 の像」に似せて人間を創造された「唯一の神」は、人間がお互いに憎しみあい、殺しあう事を望んではおられません。神が全宇宙の創造主であり、支配者である ならば、他宗教の人々も含んだ全ての人々の創造主です。全ての生き物はこの創造主なる神のうちに生き、動き、存在しています。

さらに、聖 書は神の人間全体との普遍的契約関係について語っています。神は全ての被造物を再び祝福されました。「虹」は全ての人間と神を結ぶすばらしい契約のしるし です!「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中に わたしの虹を置く。・・・雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てられた永遠の契約に心を留 める。」(創世記9:12-16)

他宗教他民族の人々も同じく「神の子」であり、兄弟姉妹です。共通の創造主なる神の家族として「共に 平和に生きる」日が来るように、キリスト者は「本物の証人」とならねば今日の世界で伝道や宣教活動はできません。我々の生き方からキリストの愛や赦し、受 容を示していけるようになりたいものです。
「わたしに向って、「主よ、主よ、」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイ7:21)

聖霊降臨日(ペンテコステ)が目の前です。今年も多くのゲストをお迎えします。言語の違いを超えて一致する聖霊の賜物を受け、共に「アッパ、父よ」と呼ぶ神の子として頂きましょう。

「あ なたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッパ、父よ」と呼ぶのです。こ の霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証してくださいます。」(ローマ8:15-16)

「父の日」も6月20日ですね。世界中の人々が、「一人の父」を仰ぐ神の子供である事を想う日としたいものです!