教会誕生の日
• デーヴィッド・グレイビール博士
教会誕生の日
使徒言行録2:1-4
「五 旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のよ うな舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。」 (使徒言行録2:1-4)
本日、「聖霊降臨日」に我々は、我々の教会即ち、イエス・キリストの教会の誕生日をお祝いします。この日は、 ずっと昔最初の教会の誕生日に起こった出来事を思い起こす日なのです。その出来事とは、愛する者の誕生日を祝うために家族が 集まった時にするように、繰り返し何度も何度も語り合う話です。
思い起こす出来事とは次のような話です。イエス様は十字架につけられ、死 んで、墓に葬られました。しかし、ある人たちは彼の死後、彼に出会い、イエス様は彼らにエルサレムに留まって、力が与えられる聖霊を受けるまで待っている ようにと告げられました。彼らは七日間待ち、さらに七日間、ついに七週間待ちました。彼らはユダヤ人で違った所から集まって居り、異なった言葉を話してい たのでお互いになかなか理解できませんでした。
50日目に、突然風で窓々が開き、彼らは皆お互いに理解できるようになったのです。彼ら は、共に集まっている所に聖霊が激しい風のように吹いてきて、力に満たされ、励まされ、強められ、勇気が湧いてきたことを感じました。彼らはお互いにイエ ス様が語られた、貧しい人々や、弱者、囚人たちのためのあらゆる働き(ミニストリー)について語り合い始めました。たとえ人々の好評を得られず、権力者た ちが彼の言葉を好まない時であっても、イエス様は勇気があり常に真理を語られた事を思い出しました。彼らはイエス様を愛している事、彼に従って行きたいこ と、イエス様のようになりたいこと、イエス様がなさったような働きがしたいことを認識しました。そこで彼らは集まっていた二階屋敷を出て、地の果てまで散 らされて行ったのです。
これは、彼らとその子孫達、さらに霊的な子孫である今日ここにいる我々のためのものです。我々は教会です。我々も またあの日に激しく吹いてきた同じ聖霊によって力を得たのです。今日、我々はイエス様のストーリーを何百の異なった言葉で語っています。しかし我々が聖霊 によって力を与えられる時、最初のペンテコステの時と同じように、我々自身の国の言葉でイエス様の話を聞くのです。
神様がイエス様を通し て我々に与えてくださった、最も素晴らしいバースデー・プレゼントである教会、我々が属しているこの教会とは一体どのような所でしょうか?教会はあらゆる 人々を歓迎し受け入れるところです。女性、男性、幼児、子供、青年、高齢者、さらに障害者、富める者や貧しい者、教育ある者も無い者な
どあらゆる人々がいます。我々はあらゆる文化圏から、全ての人
種、 全ての言語そして全ての政治的党派の者たちを受け入れる所です。しかしこれらのあらゆる違いを持ちつつ、我々は聖霊において一つであり、正義を行い、慈し みを愛し、へりくだって神と共に歩む事、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する事に自分を捧げる事によって一つとされています。この疲れ、苦しみ、暴 力的な世界に対して、神様は我々に、教会において、また教会を通して何をすべきだおっしゃっているでしょうか?
今、皆様に次のことをお尋 ねします。誕生日のお祝いの時に、我々自身と我々の教会について、いくつかの痛みを伴う事実を思い起こすことは、悪い事でしょうか?神のみ心を痛めてきた 事柄を思い起こす事は悪い事でしょうか?我々の会衆は教会に来る事を求めている人々全てを受け入れてはおりません。男性たちは、時に、女性は教会で沈黙し ているべきで、二次的な立場でいなさいと命じています。富める者たちは時々彼らの希望通りにせよと要求しています。我々の多くの教会は戦争と悲惨な政府の 行動を祝福しています。この教会の誕生日に、教会ですべきではない事を行っている事を思い起こすことはいけない事でしょうか?端的にいえば、我々はバース デー・パーテイーで悔い改めと新たな献身(誓い)をすべきではないかと思います。
私が子供時代はバースデー・パーテイーで、家族たちは小 さな子供のバースデーのお祝いに、愛のしるしとして「スパンク(お尻をたたく)」を年の数だけ与えました。一年ごとに一つのスパンクを与えて、最後のスパ ンクは「大きくなるようにね(良い子になるように)」とお尻を叩くのです。叔父さんや叔母さんたちは誕生日が近づいた子供をからかって、「お前の誕生日に は捕まえに行くよ!」と言います。もし叔父さんが忘れてしまったら(子供を抱いてスパンクするのを忘れたら)、その子は失望するでしょうね。
こ のようにして時々我々も教会の誕生日に教会の欠点や過ちを思い起こしてはどうでしょうか。我々も我々の教会(即ち我々自身に)、愛を持ったスパンクを与 え、最後に成長するための願いを込めて「成長せよ!」とスパンクを加えましょう。それは我々が教会を深く愛しているゆえに、しても良いスパンクです。同時 に我々は教会自身(即ち我々自身)が、正義と慈しみと愛に対して心からの献身する決意をすべきです。
今日我々の世界と国家には実に 沢山のニーズがあります。この地域においてすら、飢えた人々やホームレスの人々が多くいます。ある人々はアルコール中毒や麻薬中毒にかかっています。刑務 所は満員でさらに建築中です。可能な計画案が提出されると、しばしば「わたしの裏庭に建てられては困る」との声が上がります。私が感激する事は、しばしば 教会の会衆が「結構です!教会の裏庭に作ってください」と申し出られる事です。多くの教会は飢えた人々の気持ちを実感しています。また、ある教会はホーム レスのシェルターに開放しています。ある教会は無名のアルコール中毒者に定期的に教会を使用させています。刑務所訪問プログラムや服役者たちが社会復帰で きるよう迎え入れるプログラムを作っている教会もあります。このように、必要のある人々のために実地の働き(ミニストリー)を引き受けて実践している教会 を人々は愛するのです。そして、神様はイエスの模範に従っている教会を愛しておられると私は確信しております。
さあ、今日は我々の教会、神様が愛しておられる教会の誕生日です。皆でいつも誕生パーテイーで歌う「ハッピー・バースデー」の歌を歌いましょう。” Happy Birthday to you (dear church)…Happy Birthday to you!”
(5月30日、聖霊降臨日礼拝説教)
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