寄留者として異国に生きる
• 牧師・浅田容子
寄留者として異国に生きる
ヘブライ人への手紙11:8-16
「信 仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになっている土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したので す。」(ヘブライ11:8)これがアブラハムの寄留者としての旅の始まりでした。彼は遊牧民としてネゲブの砂漠を放浪の旅をしたのです。昼間はキャラバン と共に旅し、夜は小さなテントに宿泊しました。妻のサラと一緒でしたが、まだ自分たちの子供はありませんでした。彼は、昼、野獣に襲われる事は恐れません でしたが、夜、真っ暗な中の孤独を恐れたに違いありません。夜、しばしば寝られぬ夜を過ごしたことでしょう。一番の大きな心配事が心にあったからです。そ れは、中近東の男性にとっては当然のことながら、自分の血を分けた息子がいないと言う事でした。自分の息子なしには将来も希望もありません。アブラハムは 豊かなハランの地を離れてこの砂漠へと連れ出した神に怒りました。将来、子孫を与えると言われた神に従ってきたのに、今この砂漠で一人ぼっちなのです。小 さなテントに横たわっているアブラハムには、全てが狭く、真っ暗で、希望がなく孤独でした。アブラハムは神に尋ねました。「わが神、主よ。わたしに何をく ださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」(創世記15:2)神はアブラハムを慰め、彼を見捨ててい ないことを確信させようとされましたが、彼を信じさせるのはなかなか困難でした。アブラハムが直面している事実、それは彼の「老齢化」と言う事でした。こ の「老齢化」の事実は神の言葉を聞く以上に彼を納得させるものだったのです。神は言葉で彼を納得させる事は希望がないと思われました。そこで、もっと力あ る方法を取られたのです。神はアブラハムと議論する事をやめ、彼を小さなテントから外に連れ出して、広大な大空のテントの下に立たせました。「主は彼を外 に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」(創世記15:5)アブラハムは外に出て、地平線がないように見 える荒野、まったくの暗闇の中に立ちました。しかし上を見上げると、そこには空があり沈黙せずに入られませんでした。無限の大空のテントに数え切れない星 が輝いていました。星々はとても近くに見え、手を伸ばせば届きそうに思えました。ちっぽけな暗いテントと比べて、そこには数え切れない星が輝く広い天のテ ントがありました。多分彼は「わあ!」と感嘆の一声をあげたのみではないでしょうか!この情景は彼を納得させたのです。「アブラハムは主を信じた。主はそ れを彼の義と認められた。」(創世記15:6)我々日本人もアブラハムと同じような経験をしています。自分たちの家を離れ、寄留者や異国人として違った文 化や人々の中で暮らしています。特に日本から移民としてきた最初の人々は多くの葛藤を経験したことでしょう。若い移民たちは勇気を持って小さな島国日本か ら外国に飛び出していきました。そして、彼らはハワイ、北アメリカ、南アメリカに、新しい文化と新しい故郷(ホーム)を作り出していったのです。私はシカ ゴのキリスト長老教会で働いていたときに、一世の女性が次のように話されました。「いつも淋しくなったりホームシックになった時にはこの大きなミシガン湖 を眺めて、この海の向こうには日本があるんだと思ったものですよ。」「あれ?ミシガン湖は海ではないでしょう?ミシガン湖の向こうは日本ではなくてカナダ ですよ!」「はい、分かってますよ。でもこの湖は海みたいに大きいでしょう。一世たちはこの湖を海と思って日本を懐かしがったのですよ。わあ!大きくて美 しい海だなあと、しばらく眺めていると元気が出てね。そうだ。もう日本には帰れないんだ。ここが私の第二のふるさとだと納得したものです。・・・」ハワイ の教会で働いたときに、移民たちの厳しい仕事とその生活を初めて知る事が出来ました。ハワイで「ホレホレ節」という日本人移民たちがサトウキビ畑で作った 労働の歌を聴きました。プランテーションで働く人々は乾燥した「さとうきび」の皮を手でむしりとるつらい作業をしました。ハワイ語でこの作業の事を「ホレ ホレ」と言います。日本語、ハワイ語、英語の混じった言葉が用いられている独特の歌です。歌は口伝えされたので、様々な場所で違った歌詞や曲がたくさんあ ります。いずれの歌詞も哀愁に満ち、日本に残してきた家族や、彼らの夢(ドリーム)などが歌われています。いくつかの歌詞を歌ってみましょう。1.行こか メリケンよ、帰ろか日本、ここが思案のハワイ国2.カネ(夫)はカチケンよ(サトウキビを切る作業)、わしゃホレホレよ。汗と涙の共稼ぎ3.ハワイハワイ とよ、夢見て来たが、流す涙もきびの中。4.横浜出るときゃよ、涙で出たが、今じゃ、子もある、孫もある。5.花嫁御寮でよ、呼び寄せられて、指折り数え て50年。ハワイでは淋しくてホームシックになると、彼らはいつも空にかかった大きな美しい虹を眺めて「わあ!なんと美しい見事な神様のみ業だこと!ここ は本当に神様の楽園(パラダイス)ね。ラッキーだ。ここが私のホームだもの。」と納得したのです。アメリカはヨーロッパ、アジア、ラテン・アメリカ、アフ リカなどからの移民で作られた国です。皆が自由を求めてこの「新しい約束の地」を目指してやって来て、独特の交じり合った文化と人種を作り上げてきたので す。ここは日系人たちを含めて全てのアメリカ人たちのホーム(ふるさと)です。しばしば我々は、かつての自分たちの国や家族や友人たちを振りかえります。 時々、なぜ我々はここに来たのかしら?なぜ永住を決めたのかしら?一体私の属する国はどこかしら?などと考えます。今日では簡単に自分の国に帰ることが出 来ます。故郷に帰った時、家族や友人たちが「おかえりなさい!」と迎えてくれます。家族や友人たちに受け入れられた思いを抱くなんと温かい言葉でしょう。 私は成田空港に戻った時、イミグレーションへの道で、日本語で大きく書かれた「お帰りなさい!おつかれさま。」のサインを見て「ああ。うれしいな。母国に 帰ってきたんだ。」と感激しました。よく見るとその後に「SONY」と書かれてありましたが。・・・ そしてしばらく日本に滞在すると、「ああ、階段が多 いなあ。人がいっぱいだ。暑いな。湿度が高くてつらいな。早くニューヨークに帰りたい!」と思います。どこがあなたのホームですか?どこがあなたの故郷で すか?神戸が私のホームです。ニューヨークも私のホーム。シカゴもハワイも私のホームです。一体私にはいくつのホーム(故郷)があるの?ユニオン日本語教 会は現在私の教会です。ヒッチコック長老教会は私のウエストチェスターの「母教会:ホームチャーチ」です。マデイソン・メソジスト教会とテナフライ長老教 会は私のニュージャージーの「母教会」です。日米合同教会は私のマンハッタンの「母教会」です。まだまだ、私はシカゴにもハワイにも「母教会」を持ってい ます。私はアメリカにこんなに多くの「母教会」を与えられて本当に祝されています。どこでも、愛する人々がいるところ、私の心があるところが私のホームな のです!! 「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束のものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、 仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地 のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。 だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」(ヘブライ人への手紙11:13-16)我々 クリスチャンは常に神の召しを受けたときに、自らの安全な心地よい生活を捨てて、新しい世界へと出て行くための準備ができていなければなりません。神様か ら呼び出されて、新しい隣人と共に神の家族として調和を持って新しいホームを築いていきましょう。我々はもう異国人ではありません。さらに、クリスチャン として、我々は常に神の与えられる天の故郷、即ち神の家族であるすべての人々共に生きる永遠の故郷を仰ぎ見て生きる者なのです。「わたしたちの国籍は天に ある。そこから、救い主キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。」(口語訳、ピリピ人への手紙 3:20) アーメン。(ヒッチコック長老 教会での英語説教。7/11/04)