誰が教会を必要としているの?
• 牧師・浅 田 容 子
誰が教会を必要としているの?
ヨハネ福音書4:35
「目 を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。」(ヨハネ福音書4:35) 新潟中越大地震で被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。収穫の季節になりましたが今年は日本も、アメリカのある地方も、相次ぐ台風やハリ ケーンのため、収穫が見込まれないようで大変です。教会は「伝道の秋」として、特別伝道集会や教育講演会を致します。我々の教会は籾井梅子牧師(賀川豊彦 先生の次女)をお迎えし豊かな恵みを頂き心より感謝しております。今日、伝道集会で教会に多くの新しい方々をお招きするのは多くの祈りと努力を必要とし、 すぐに成果が出ないものです。 最近、30年ほど海外生活をして近々日本に帰国される方から手紙とEメールをもらい祈りを深くさせられています。彼女もご主人も日本の教会で忠実な奉仕者 でしたが、教会とクリスチャンたちに躓く悲しい出来事を多く経験し、海外転勤と同時に一切教会に行かなくなりました。教会に行かなくなってからのほうが もっと神様を近くに感じるようになり、日本に帰っても教会には行きたくないと言われるのです。私は彼女のつらい経験を詳しく聞いて教会の様々な罪や過ちを 知らされ、ずっと共に祈っています。彼女が日本の教会で再出発できるようにいくつかの健全な教会をご紹介し、祈って励ましている所です。彼女の質問は我々 教会員への大きな挑戦です。教会は多くのつまずきを与えていないでしょうか?あなたには教会が必要ですか? アメリカ長老教会の信徒の学習パンフレットの一つ「誰が教会を必要としているか?Who Needs the Church? 」(Barbara G. Wheeler著、The Price H. Gwynn III Church Leadership Series, Geneva Press, Louisville, KY, 2004) を読み、考えさせられています。今、日本だけでなく、アメリカの教会も宣教活動に苦労しているのです。 このパンフレットの著者、バーバラ・ウイーラー(Barbara Wheeler)は、「現在、若者間で昔のような反体制文化(グループ)は無くなった。若者も親たちも同じような価値観を持つようになっている」と指摘し ています。そして、「今日社会に反抗的な生き方をするには、主流教派の伝統を持つ教会やシナゴグ(ユダヤ教会堂)に行く事です。・・・あなたが多くの友人 たちや家族とは違った生き方をしたいと思うなら、その主流教会の教会員になることです。」と言うのです。主流教派の教会は反体制、革新的、進歩的、リベラ ルであると言う事でしょう。 A. アメリカ社会・文化に何が起こっているのでしょうか? 1)アメリカ人は自分たち自身で物事を行う傾向になってきている。多くの活動も個人追求型になっている。神を求める事も、どんな信仰団体にも所属せずに独 自で信仰を追求する人が増えています。 2)アメリカ人が組織に所属する場合は、自分たちの地域活動で、広い国家的組織活動にはあまり関心がありません。各個教会の会衆は彼らの教会が属する教派 全体の事には関心が薄くなっています。 3)アメリカ人たちは「未来追及民族」と呼べるでしょう。彼らは伝統や神学議論よりは 目新しい斬新さを求める。現在、急速に成長している教会は、人々が目新しく思うような教会形成に取り組んでいます。人々が伝統的だと思うものを退けようと します。たとえば、ステンドグラス・ウインドウ、会衆のベンチ、オルガン、讃美歌、正装、ローソク、ローブ(牧師のガウン)、十字架まで排除している所も あります。代わりに、これらの「新しい形式の教会」は劇場の座席、ポピュラーな歌、パワーポイントで歌や祈りの分をスクリーンに映す、簡単で、シンボルを 使わない装飾などです。彼らの語るイエス像は親しみある方がほとんどです。 4)かつてアメリカ人は誕生した家庭の中で成長し、家庭を作り子供たちを育ててきました。道徳的、民族的、宗教的価値観は、家庭で育まれ、伝えられてきま した。しかし、今では、過去の家庭に縛られる事なく、自分たちで乗り越えてイランで行く事が出来るのです。自分の生まれた民族的、人種的グループから抜け 出す事も出来るし、親の宗教から自由に自分の好きな宗教を選んで、宗教を変えることも出来ます。宗教は現在アメリカでは以前よりも私的(プライベート)な ものになってきました。 B. 信仰が退廃するのでなく正しい信仰を持つのに教会はどのように役立つのでしょう?なぜ我々は教会に所属するのでしょうか? 1)教会は真実な宗教を見つめて、正しく神を信じる事を可能にしてくれる所です。霊的な教派の人々は宗教は素晴らしく、楽しく、満足させるものだと説い て、宗教の誤りや罪を見ようとしない点があります。この過ちを常に悔い改めつつ正しい教会形成をしていく努力をしているのが我々の教会です。 2)教会は我々皆を一つに結び付けてくれる所です。教会は誤った所があったとしても、神が働かれるユニークな力を持つところです。なぜなら、教会は神が建 てられたのであり、教会を通して、神が愛しておられる全ての人々に仕えるようにと我々を招いておられる所だからです。教会は会員間に何の隔てや差別をしな い所、全ての人を受け入れている所です。社会のあらゆる人々の痛みを分かち合うために愛を持って仕えているのが我々の教会なのです。 3)教会は我々が神信仰を失わないようにしてくれる場所です。誰にとっても苦難のときに神を愛し続けることは難しいことです。神に見捨てられたと感じる事 もあります。しかし、神はいつも共にいてくださいます。それを実感できるところが教会の群れです。さらに、自分勝手な信仰や神理解に陥らないためには伝統 や神学の理解は大切なものです。イエス様ご自身も神様から見捨てられたと感じられたときに、伝統的なユダヤ経典や教えを引用して語られました。伝統は正し い信仰を保ってくれるものなのです。 著者・バーバラ・ウイーラーは次のように結論を述べています。 「今日アメリカのプロテスタント主流教派は主流と呼ぶよりはサ イドライン(わき道)となっています。しかしこのサイドラインは 健全で、生産的なものです。・・・そしてこの主教会は過去から の知恵(伝統の知恵)を大切にしながら、地球と神の全ての被造 物への愛をもって、地域社会と世界の問題に取り組んでいる所 です。あなたがこの教会を選ぶ事は素晴らしい事です。さらに多 くの人々があなたに続いてくれるようにと願っています。」 この著者の考えあなたはどう思いますか?私はこれを読んで、今までキリスト教社会といわれてきたアメリカ社会が、日本のような世俗的な社会に近くなった事 を感じました。今までは、家族が 所属する教会内で育ち、伝道(宣教)の必要性を強く感じなかったアメリカの教会ですが、アメリカの教会は今、国内伝道を必要としていると思います。先月 「国連」の「パレスチナ問題」の会合に出席して、アメリカ長老教会の強い行動力を知り、主流教派の教会が正義、人権世界平和の問題に実に強い意志を持って 社会悪と戦っている事に感銘を受けました。私自身、主流教派の教会員であることを嬉しく思っています。このパンフレットの指摘には学ぶ所が多くありました が、今日の教会の必要性を述べるには物足りなく思います。余りにも革命的、進歩的、リベラルな点ばかりが強調される事は、人々に偏って印象を与えてしまい ます。誰が今日の我々の教会に所属したいと思うでしょうか?他の人々を教会にお誘いするために、我々自身の力強い証が求められていると思われます。伝道す るための今日の主流教派の宣教の神学とは何でしょうか? 10月18日にプリンストン神学校で「第2回賀川豊彦講演会: Toyohiko Kagawa Lecture」が開かれ、籾井梅子先生ご夫妻をお連れして、出席する事が出来ました。講師の小山晃佑博士(ユニオン神学校名誉教授)の素晴らしい講演に 多くの出席者共々感銘を受けました。講演のテーマは:「行って、あなたも同じようにしなさい。」でした。これは、ルカ福音書10:37にある、「良きサマ リヤ人のたとえ話の後でイエス様が語られた言葉です。副題が「辺境の神学: Theology of Periphery」です。即ち「賀川豊彦の生涯を貫いた伝道(宣教)の精神は、このイエス様のお言葉を実行したことです。賀川豊彦先生は社会の辺境に出 て行き、貧しい人々、病める人々、差別されている人々などのいるスラムに共に生活して、愛と救いの福音を宣べ伝えました。この「辺境(社会の周辺、見捨て られた人々の所)で福音を実践した所に賀川先生の実践的な証人の姿があったのです。小山先生の講演は賀川豊彦の神学を学ぶと同時に我々に宣教への意欲と力 を与えるものでした。よき機会を与えられて心より感謝いたします! やはり伝道は実践を伴っていなければ生きた証にはなりにくいものです。「辺境の神学」は今日の我々の宣教の神学であり、正義、人権、平和、環境問題など、 苦しむ人々を救う神学であると思います。教会が革新的で、進歩的なことは素晴らしい事ですが、社会問題ばかりに取り組んでいるような印象を与えたり、教会 内で議論と批判ばかりしているようでは伝道の妨げとなりかねません。賀川先生のごとく、神学(伝統や知識)と、祈り(瞑想)と愛の実践(奉仕)がバランス よく結び合った信仰が、今日の主流教会に求められています。深く聖書に学び、イエスに従って、痛める人々の所に出ていって福音を実践するときに、人々がキ リスト者の証を見て、教会に喜んでつながり、共に働くものとなると信じます。誰が教会を必要としていますか?私もあなたも、今日、教会を必要としていま す!愛と祈りを深くしてさらに伝道に励みましょう。「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。」 「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り 果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送って くださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9: 35-37)