喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい
• 牧師・浅田容子
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい
イザヤ書53 :1-12
「彼 は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。・・・まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。…彼はみずから懲らしめを うけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」(苦難の僕―イザヤ書53 :1-12)
あ なたは側で悲しみ、痛み、悩みを理解して共に悲しみ、喜んでくれる人を持っていますか?一人で頑張って疲れていませんか?神戸地震から10年。被災者達は 心の傷は癒されていないと語っていました。スマトラ沖大地震と津波で孤児となった多くの子供たちの放心状態の姿を見て、今、世界中の人々が涙を流していま す。
受難節(レント)になりました。イエス様の「憐れみ、いつく慈しみ (compassion)」を深く思わされています。聖書の神は「慈しみ」「憐れむ」神です。「憐れみcompassion」とは「共に苦しむ passion with」と言う意味です。語源的には、ラテン語のpati (苦しむ)とcum(共に)から生まれた言葉だそうです。旧約聖書で神様は徹頭徹尾「慈しみ」の神であると語っています。出エジプト後、シナイ山で神様は モーセに「主、主、憐れみあり、恵みあり、怒ること遅く、慈しみとまこととの豊かな神」(出エジプト記34:6)とご自身を顕わされました。聖書の「憐れ む」と言う言葉の特徴は、日本語のように「上から苦しむ人を見下ろして、憐憫する」という語感とは異なり、「苦しむ者があれば、一緒になって共に苦しみ、 共感する」と言う意味です。この苦しみを担い、共感する神は、新約聖書においてイエス・キリストの姿の中に「神 われらと共にいます」ことを示されました。
イエス様は飼う者もなく、迷いでた羊の群れのごとき群衆を見て「深く憐れまれた」(マタイ9:36)。 目の見えない者、足が癒えた者、耳の聞こえない者たちが各地からイエス様のもとに運び込まれた時、「イエスは舟から上がり、大勢の群集を見て深く憐れみ、 その中の病人をいやされました」(マタイ14:14)。 群衆が彼に従って、幾日も飢えと疲れにあるのを見て「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一 緒にいるのに、食べ物がない」(マルコ8:2)と同情され4000人の群衆にパンを与えられました。ライ病人がイエスのところに来てひざまずいて癒しを 願った時、「イエスは深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われ」(マルコ1:41)癒してくださいました。ナインの女 が一人息子を埋葬した時も、主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくても良い」と言われ(ルカ7:13)、母親の痛みに共感し共に苦しまれまし た。ラザロの死を悲しむマリヤと群衆が泣いているのを見られた時も「イエスは涙を流され」(ヨハネ11:35)ました。
このように、イエス様は苦 しむ者と苦しみ、飢える者と共に飢え、病む者と共に病を負われ、共に涙を流してくださる「苦難の僕」なのです。あなたの病、痛み、苦しみも、主は深く理解 し担って下さっているのです!「彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」(イザヤ53:4)「この大祭司(キリスト)は、わたしたちの弱 さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練にあわれたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあず かって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ4:15-16)2月13日に今年度の定期教会総 会が終了いたしました。朝の礼拝でアメリカ改革派教会NY教区長:ジョン・ノートン牧師が「神に従うことを選び取る時、大きな祝福が与えられる」と力強い メッセージを語ってくださり、一同励まされました!昨年度を省みる時、思いに勝る神様からの祝福を頂いて集会も伸び会計も多くの余剰金を残して締めくくる 事が出来ました。皆様の篤いお祈りとお支えに感謝します!良き助言と励ましを下さったノートン先生とメソジスト教会地区長:ノエル・チン牧師に感謝申し上 げます!横浜から元教会員:財部宏彦、恵美ご夫妻が礼拝と総会に出席されました。ユニオン日本語教会で、二人の子供達美沙ちゃん、利彦君も含めご一家揃っ て受洗され、現在横浜の「みどり野教会」で充実した教会生活を送っておられます。再開を喜ぶと共に、お二人の証に感激しました。
今年度の出発に当 たり、我々も共感の神のもとで共に苦しみ共感する者へと育てられたいと願っています。わたしたちの廻りには多くの悲しみ悩んでいる隣人が居られます!教会 でも皆で責任を担って行きたいと祈らされた総会でした。「あなたがたはキリストのためにただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜って いる。」(ピリピ1:29) 共感の神はイエス様に従う私たちに応答を求め、隣人への共感をうながし、キリストを頭と仰ぐ教会に「共に苦しむ事のできる共同体 (compassionate community)」になるようにと招いておられます。使徒パウロも「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ12:15)と語っていま す。ご一緒にお互いの痛みを共感できる暖かい教会を建ててまいりましょう!