平和への祈り
• 浅田容子牧師
平和への祈り
イザヤ書2:4-5
「主 は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤(すき)とし、槍を打ち直して鎌(かま)とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや 戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」(イザヤ書2:4-5) この預言者イザヤの「平和の宣言」はNYの国連の玄関に刻まれていますが、一体世界平和はいつ実現するでしょうか?相次ぐテロ事件は人々の心に益々憎しみ を植えつけていくと思われます。例年8月第一日曜日には我々の教会では「平和聖日礼拝」を守り「平和を創り出す者になるように」真剣に祈りました。まず、 家庭、職場、地域社会、教会でお互いの間に和解と平安があるように努力しましょう。キリストによって憎しみを赦しへと導かれたいですね。
5 月にハワイのヌアヌ組合教会からのゲスト・ミキ佐々木さんとワシントンDCへ三日間の旅行をしました。私は2001年以来4年ぶり、彼女は初めての旅でし た。今回は多くの「戦争記念公園(記念碑)」を見学しました。「20世紀は戦争の世紀である。」との言葉を実感し本当に心が痛みました。「第二次世界大戦 記念碑(National World War II Memorial)」は2004年4月に一般公開されたものです。特に、メモリアル・デー近くだったので、「ベトナム戦争戦没者慰霊碑(Vietnam Veterans Memorial) :1984年に完成」と「朝鮮戦争戦没者慰霊碑(Korean War Veterans Memorial)」には多くの家族が訪れて追悼しておられました。家族にとってはなんと悲しい場所でしょうか。・・・
日系アメリカ人二 世であるミキ佐々木さんを「日系人記念公園:Japanese American Memorial to Patriotism」に案内しました。この小さな公園は2001年6月に一般公開され、ユニオン駅に近く、国会議事堂の裏手にあります。水が流れる池と 岩を配した公園の中央に14フィートのブロンズの「二羽の鶴」の彫刻があります。二羽の鶴は鉄条網にからまってもがいており、収容所に入れられて苦しんで いる日系人達を象徴する意味深い彫刻です。彫刻家:ニーナ亜架無さんはハワイのヌアヌ組合教会員:トーマス亜架無さんの姪に当たる方です。周囲のコンク リート壁には日系人が収容された10の収容所の名前と歴史、日系部隊(第100大隊&442部隊)で戦死した約800名の名前が刻まれ、心に残る著名人の 言葉が刻まれています。
収容所の歴史は次の通り刻まれています。「1942年2月19日、アメリカが第二次大戦に参戦してから73日目 に、フランクリン.D.ルーズベルト大統領は、西海岸とハワイ在住の日系人の男女、子供たち計12万人を住居から移住するようにと言う大統領令状9066 を発令した。日系人家族たちは、持参出来る所持品だけ持って、家、友人たち、田畑、仕事などすべて捨て、兵士たちが銃で監視し鉄条網を張り巡らせた、 10ヶ所の収容所で生活させられた。ある人たちは1946年3月まで収容所に残っていた。」
「4500人は「正義委員会:Justice Department」に捕らえられ、ニューメキシコ州のサンタ・フェ収容所に入れられた。2500人はテキサス州のクリスタル・シテイーのファミリー・ キャンプに収容された。徴兵制に答えて若い日系人たちは軍隊に参加した。多くの青年は戦前から自ら進んでドラフト(徴兵兵)に志願した。日系部隊第100 大隊と442部隊はヨーロッパで戦い、戦った人数の(死亡者の人数も)多い事と奉職期間の長さとでアメリカの軍隊史上、最高の栄誉を与えられた部隊となっ た。情報部(Military Intelligence Service)での日系人達はバイリンガルの技能を生かして、太平洋戦で貢献し、数え切れぬアメリカ兵の命を救った。1399技術部隊(The 1399th Engineer Construction Battalion)は40の下部組織を援助して勝利に導いた。」
「戦後40年たっ た1983年、戦時中の強制疎開と一般市民抑留について調べるための連邦政府委員会は、これほど多数の日系人の強制抑留はアメリカ軍隊に必要でなかった 事、これは重大な不正義であった事を見出した。1988年、ロナルド・レーガン大統領は、一般市民の自由権を認める書類にサインした。即ち、この日系人に 対してなされた不正義への謝罪、最少の補償金を支払う事、すべてのアメリカ市民に対する平等の権利の法律を国家が再確認するというものである。」
次 に、心に残ったいくつかの言葉をご紹介します。「あなたがたは敵と戦っただけでなく、偏見(差別)とも戦った。そして勝利した。このような戦いを続けてい こう。そして、我々はこれからも勝利していくであろう。それは国家憲法に述べられているように、あらゆる時にすべての人々の幸福のために存在する立派な共 和国を作り上げるための戦いなのである。」(ハリー・S・トルーマン大統領、1964年、ホワイト・ハウスでの第100大隊、442部隊表彰式典で)
「この出来事から学んだ事は、我々は今後、いかなるグループに対してもこの様な事が起こる事を許してはならないという事をしっかりと覚えていなければならないという事である。」(ダニエル・K・イノウエ国会議員、上院議員、第100大隊&442部隊兵)
さらに、池のふちには1988年に日系人に対して謝罪と賠償がなされた時に語られたレーガン大統領の言葉が記されていました。「我々は過ちを認める。国として法の下では我々は平等であることを断言する。」
今 日、日系部隊で戦った人々、収容所体験を持つ日系人達は次々と高齢となられ、なくなられた方々も多くなって体験を聞くチャンスもなくなってきた事は真に残 念です。「戦後60周年」です。平和への道を歩むために貴重な戦争体験を語り伝えていただきたいものです。皆様こそ「平和の架け橋」となってくださったの ですから!
「神よ、あなたの平和の道具として私を用いて下さい。 憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところに癒しを、 分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、 誤りのあるところに真理を、絶望のあるところに希望を、 闇に光りを、悲しみのあるところに喜びを、 もたらす者としてください。 慰められるよりも慰める事を、 理解されるよりは理解する事を、 愛されるよりは愛する事を、私が求めますように。 私たちは与えるから受け、赦すから赦され、 自分を捨てて死に、永遠の命をいただくのですから。」
(アッシジの聖フランシスの祈り)