キリストの晩餐への招待―入場券は不要です

11月 9日 2005年 | カテゴリ: 未定 | コメント: 0 »

浅田容子牧師

キリストの晩餐への招待入場券は不要です

ルカ福音書1421-24

人は言った。「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事 を味わう者は一人もいない。」(新共同訳: ルカ福音書1421-24)実りの秋、収穫の季節を迎えました! 11月には感謝祭、そしてクリスマス、お正月と皆で食事を楽しむ季節がやってきます!「食欲の秋」ですね。私も一時帰国して、多くの方々と共に美味しい秋 の味覚を楽しむことを楽しみにしています!皆様の食卓に孤独な人、外国人、などを神の家族の一員として招いて下さい。「天にまします我らの父よ、 我らの日用の糧を今日も与えたまえ。」と「主の祈り」を祈るとき、「我ら」とはあらゆる違いを超えた「世界のすべての人々」であり、世界の四分の三が食糧 不足で飢えている事を認識し、すべての人々に「日々の食べ物」を与えて下さいと「我々すべての者の父である神に」祈りましょう。同時に、我々がいかに贅沢 であるかを知り、世界の人々に食べ物が届くように努力しましょう。食卓を囲むとき、食物を作るために労した人々を思い起こし感謝しましょう。「同じ釜の飯 (めし)を食べる」と人々は連帯感を持ち家族意識が生まれます。教会も同様です。教会の交わりでは「愛餐」は大切な意味を持っています。我々の教会でも家 庭集会でも食事は素晴らしい交わりと語らいの時になっています!イエス様は本当に人々との食事を楽しまれたようですね。キリストが、当時のイスラエル社会 で差別されていた人々を交わりに招き入れ、一緒に食卓につかれた事実は深い意味を持っています。当時のイスラエル社会では血統、身分出生などが重要であ り、律法を遵守しない者は「汚れたもの不浄なもの」として交わりの外に置かれ、食事や祝祭も共にできませんでした。食事を共にすることは特別な宗教的 社会的意味をもっていたのです。正しい生き方をしているイスラエル人はアウトカーストや汚れた者と決して食事を共にしませんでした。パリサイ人達は取税人 や罪人達と食事をされるイエスを「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と厳しく追求しました。イエスはこれを聞かれて「わたしが来たのは、 正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と言われました(マルコ 216―17)。イスラエルの差別された人々と食事を共にすることはイエスにとって「来るべき神の国での食事」を意味していたのです。教会の聖餐式はイ エスキリストの晩餐の祝宴に根ざしています(第1コリント10:16―1134)。これは信仰者の共同の食事であり、共同体の一人一人を主イエス リストに結び付けるものです。主の聖餐はあらゆる者が社会的地位や身分、性別などに関係なく、互いに交わりを持つ信仰者の機会であり、キリストの体と血を 象徴するパンとぶどう酒は、敵意を持つ者、差別されている者を和解させ、キリストにある喜びを与えます。コリントの教会では聖餐式の前に交わりの食事(愛 餐:アガペーミール)をしていましたが、それは「愛餐」と呼ぶにはふさわしくないものになっていました。「それでは、一緒に集まっても、主の晩餐をたべ ることにならないのです。なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからで す。」(第1コリント1120―21)キリストがすべての人々を招いてなされた祝宴に基礎を持っているのが「聖餐式」であり、すべての人が神と共にある 喜びを体験する新しい神の国の祝宴に招かれているのです。「人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。」(新共同訳:ルカ福 音書1329)教会こそあらゆる人々を差別せずに受けいれ一つの食卓につける場所になるようにと主イエスは招いておられます。我々の教会では「オープ コミュニオン(洗礼を受けていない人々も聖餐を受けられる)」をしています。私は「聖餐への招き」の言葉として「これは主イエスが招いておられる食卓 です。いずれの教会でも既に洗礼を受けておられる方々は聖餐にあずかって下さい。また、まだ洗礼を受けていなくても、今、キリスト受け入れ、招きに答えて キリストに従いたいと決心された方はどなたでも、聖餐にあずかって下さい。」と述べる事にしています。未信者で招きに答えて聖餐を受けられる方もあれば、 受けられない方もあります。私は1995年に、明石愛老園教会で初めての聖餐式を司式する朝に、教会代表役員の故吉田千恵子さん(当時88歳)が「先生、 ここの教会では全員に聖餐を受けてもらっています。」と言われ、「オープンコミュニオン」を依頼されました。「日本でもずいぶん進んだ教会だ!」と思い ました。老人ホーム入居者のための教会でしたから、3-4名のクリスチャン以外30-40名の礼拝出席者は全員ノンクリスチャンでしたが、毎週の礼拝を 楽しみに熱心に出席され、敬虔に「聖餐」を受けて居られました。80歳90歳過ぎた高齢者が次々と洗礼を受けて良い信仰生活を送られていました。それ以 来、私は何の抵抗も無く「オープンコミュニオン」を司式してすべての人をキリストの食卓にお招きしています。アメリカのキリスト合同教会の新聞から興味 ある調査結果をご紹介しましょう。あなたのご意見はどうですか?「今日、約70%の会衆が聖餐を洗礼を受けていない大人にも受けさせていると回答し、さら に約60%が子供にも聖餐を受けさせていると答えています。牧師は信徒よりも高い率で(牧師77%、信徒68%)そうしていると答えています。・・・歴史 的に見れば「聖餐式」は教会において洗礼を受けた信者だけが受けるものだった事は確実です。・・・デイサイプルス教派のマイケルキンナモン牧師 (Rev. Michael Kinnamon)は「聖餐は境界線(隔て)を持たない食事です。キリストは道や小道にいる人々を招かれたのであり、我々の組織で承認された人々を招かれ たのではありません。・・・聖書を読むと、洗礼が主のテーブル(聖餐式)への入場券(条件)であるとは書いてないことが分かるでしょう。キリストの体に与 る事(聖餐式でキリストの体であるパンとぶどう酒を受ける事)によって、キリストの体に参加する(教会に参加する)事を学ぶのです。キリストの体(教会) の一番大切な業は何でしょうか?それは聖餐です。ある教派の伝統では、大きな教派であるメソジストでも「聖餐は神の統治(支配:reign)であり、単に 洗礼を受けた者達の食事ではなく信じる群れ(コミュニテイー)の食事である」と言っています。ジョンウエスレー(メソジストの創始者)は「聖餐式は回心 の儀式」即ち「人々をクリスチャンコミュニテイーへ導きいれる役割をする儀式だ」と言っています。ウエスレーは、未信者はできるだけ早く洗礼を受けるべ きだと信じていたのではなく、未信者は食卓(聖餐式)に招き入れられて良いと信じていた」と述べています。」・・・さらに、UCC(キリスト合同教会)の 様々な礼拝形式の特徴を尋ねたところ、「暖かく人々を迎え、受け入れる所です。また、神の愛を強調し、一人一人の信仰生活を成長させる事へと人々を招き入 れ、社会活動に参与するようにと人々を招き入れる特徴をもっていると回答しています。」(United Church News, July-August 2004 皆様、ご家族、友人達と共に「感謝祭のお祝い」を楽しく、意義深くお守り下さい。「キリストが我々の食卓の主人であり、見えない客、我々の会話の静かな聞 き手です」