和解の使者として
• 牧師・浅田容子
和解の使者として
第2コリント5:18
「神 はキリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」(第2コリント5:18) 皆様、新年おめでとうございます!世界中が、暗黒と嘆き、不安の中で新年を迎えました。お心のこもったクリスマスカードや年賀状を有難うございました。皆 様の変わらぬ友情に感謝いたします!皆様がカードやお便りで「世界の平和」を願い祈っておられます!クリスマスレターでご報告いたしましたとおり、教会の クリスマス礼拝と愛餐会は26名(子供5名、大人21名)の出席を与えられて、楽しく和やかに行われました。今年も思い出に残る素晴らしいクリスマスでし た! 同時に今回のアドベント礼拝は意義深いものとなりました。パール・ハーバー記念日前後の二回の礼拝で、キリストと共に歩まれた方々の感銘深いお二人の証を 伺うことができました。12月4日の礼拝では、廣嶋都留姉(ヒッチコック長老教会員、MJMメンバー)が、日本のために生涯を捧げられた聖公会のポール・ ラッシュ氏と清里で農民解放運動に尽くされた生き様を語ってくださいました。感謝致します!続いて12月11日の礼拝で、日系二世の山口和雄兄(日米合同 教会員)が流暢な日本語で日系人としてアメリカと日本の間に立って「平和のために」生きてこられた証を力強く語って下さいました。「二度と戦争はしてはな らない!世界の子供たちのために平和を作り出す働きに参与しよう」と語りかけられた言葉が強く心に残りました! 私はアメリカで日本人伝道に携わるようになってから、ずっと日系二世の方々のお世話になっています。最初にNYの仕事に来てから、日米合同教会の日 系二世クリスチャン達のお世話になり、今も良いお交わりを頂いています。特にジョージ(きみ)湯沢さんご夫妻は私の両親のように暖かくあらゆる面でお世話 になりました。同様にシカゴではジーン(和枝)若林さんご夫妻が私の親代わりになりました。昨年ジーンさんが昇天され大きな嘆きを覚えています。・・・続 いてハワイでもウオルター(虎代)野村ご夫妻、アーサー(ボー・チュウ)後藤さんご夫妻、ドロシー&ビル楠本さんご夫妻、ミキ佐々木さんなどなど数多くの 日系人二世・三世の方々が私の家族になり、あらゆる面でお世話になり、共に伝道に励んだ思い出は忘れられません!彼らの日本語能力はアメリカの日本語伝道 に大きく貢献できるのです。彼らは日本人とアメリカ人の「架け橋・仲介者(和解者)・平和を作り出す人」であると私は心から尊敬しています。 「二世」の中には「帰米二世」も多く居られます。彼らはアメリカ生まれの二世でアメリカ市民ですが、日本の教育を受けさせたいという一世の両親の希望で、 日本の親戚のもとに送られて教育を受けアメリカに帰国(帰米)した人々で、日本に滞在経験の無い二世と区別して「帰米二世」と呼ばれました。彼らは英語も 日本語も(読み書きとも)出来ますが、常に自分達は英語も日本語も中途半端だという意識を持って居られるようです。二世や(ハワイでは三世も)自分達の日 本語が完璧でないと思い、遠慮して日本語を話したがらないのが難点です。彼らがもっと「日本語伝道」に参加してくださるともっと大きく発展すると確信して おります。ご一緒に伝道に取り組みましょう!! ハワイや西海岸では、二世達の日本語教育には家庭のみならず、「日本語学校」が大きく貢献しています。ハワイの日本語学校についてご紹介しましょう。ハワ イのプランテーションの子供たちは、”Me mama hanahana, yokonai”(わたしのお母さんは仕事で来られない)というように、英語、ハワイ語、日本語の交じり合った言葉を話していたそうです。正しい日本語教 育の必要を感じて、キリスト教会の牧師達が最初に日本語学校を開校しました。神田重房牧師が1893年にハワイ島のコハラ(Kohala)でハラワ (Halawa)の公立学校の設備を借りて30人の生徒で日本語学校を開設。マウイ島では福田せいじ牧師が、公立学校が遠くていけないプランテーションの 子供たちのためにクラ(kula)に日本語学校を設立。ホノルルでは1897年にマキキ聖城教会創立者・奥村多喜衛牧師が日本語学校を創設。翌1897年 に曽我部四郎牧師がハワイ島のホノム(Honomu)に「ホノム義塾」を設立しています。続いて、仏教僧侶達も布教活動と同時に、1902年にホノルルに 最初の「本願寺日本語学校」を開設しました。 「日本語学校」は日本人の子供たちに大きな影響を与えました。若い二世達の心に染みついていた日本語学校校長先生の言葉が「日本文化センター」の壁に刻ま れています。「あなたがたの日本人としての重要な責任は、日本とアメリカの関係を深め、強める事です。もしも、太平洋上のこの二つの大国間に戦争が起こる ような事になれば、あなたがたにはただ一つの選択しかないのです。それは、この国家にアメリカ人としての忠誠を尽くす事なのです。」(田原 弘校長の言葉。田原校長は パパイコウ(Papaikou)日本語学校校長。1945年にニューメキシコのサンタ・フェ (Santa Fe,New Mexico)の収容所で死去。) ハワイでは移民増加につれ1900―1924年年間に日本語学校に通う子供たちの数は、1910年には7000人、1920年には一挙に21000人に増 え、最盛期には40000人にもなり、地域に大きな影響を及ぼすようになりました。移民を日本語学校の増加・発展は他民族に警戒感を抱かせ、日本語学校は 次のような理由から危険視されていきました。 1) 当時の教科書は日本で印刷された「文部省認定教科書」で、天皇礼拝が含まれており、日本国に忠誠を尽くす教育は危険視されるようになりました。 2) 第一次世界大戦後「一つの国家、一つの言語、一つの国旗」のもとにアメリカの愛国心が高まっていきました。 この様な状況は、エジプトで増えて行ったイスラエル民族を思わせます。「イスラエルという民は、今や、我々にとってあまりに数が多く、強力になりすぎた。 抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」(出エジプト記 1:9―10) 真珠湾攻撃時、ハワイ人口のおよそ40%が日本人・日系人で16万人、そのうち4分の1弱が日本国籍を持つ「一世」で、あとはハワイ生まれのアメリカ国籍 を持つ日系「二世」でした。真珠湾攻撃によって日本語学校は閉鎖、校長達はFBIに逮捕されアメリカ本土の「収容所」に送られ、日本語は禁止、英語を話す 事が強制されました。若い二世達は迷うことなく即時こぞってアメリカに忠誠を尽くすべく、100大隊、442部隊に志願しました。田原校長をはじめ日本語 学校の教育目標が「立派なアメリカ人を育てる」事にあり、彼らは「日系アメリカ人」の誇りを持っていたのです。最初本土では日系二世兵士3000名の募集 に対し志願者は1200名でしたが、ハワイでは日系兵士1500名の募集に対し10000名が志願しました。その後本土の志願者も増え、最終的には第二次 大戦で33000名が参戦、ハワイと本土半数ずつだったそうです。 さらに二世の日本語能力は第二次大戦時、思わぬ形でアメリカ国家に大きく貢献する事になりました。それは「軍隊諜報部言語スペシャリスト (Military Intelligence Service(MIS) Language Specialist)」として、二世(本土の二世も含め)たちは日本語能力を認められて国家のために尽くしました。かれらは「アメリカの秘密兵器 (America’s secret weapon)」と呼ばれ、通訳、秘密文書の翻訳などに携わったのです。さらに彼らは戦後の日本に派遣されて日本とアメリカの「架け橋」となって、戦後の 日本の復旧に尽くしました。日本人は皆、日本語の出来る彼らの下に助けを求めてやってきました。彼らは本当に「仲介者・和解者」になって両親の国と自分の 生まれたアメリカの相互理解のために誠心誠意尽くしてくれたのです。彼らのおかげで戦後日本の復興がスムーズになされた事を忘れてはなりません!山口和雄 さんも9ヶ月の日本語特訓教育を受けてこの一人としてアメリカ兵士として戦後の日本に送られ良い働きをされたお一人なのです! 今日の教会のミッションとは神の愛と赦しの福音を携えてこの世界に「癒し」「和解」「平和」をもたらす事です。キリストはそのために来られ、私達のすぐ側 に「和解の任務」を委ねられました。私達のすぐ側に「癒し」「和解」をもとめている人々が多くあります。「神はキリストを通してわたしたちを御自分と和解 させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」(第2コリント5:18) 元旦が礼拝で始まった今年度はどのような年になるでしょうか?この暗い世界ですが、主の栄光が輝く日を信じて待ち望みましょう。東方の博士たちのように 「新しい道」を歩みだしたいものです。新しい歩みが世界に平和と和解をもたらすものでありますようにと祈ります。 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれてい る人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵の年を告げるためである。・・そこでイエスは、「この聖書の言葉 は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」と話し始められた。」(ルカ2:18-21)