わたしたちは神の子供

06月 16日 2006年 | カテゴリ: 未定 | コメント: 0 »

牧師浅田容子

わたしたちは神の子供

使徒言行録2:1-4

「五 旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のよ うな舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、『霊』が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。」 (新共同訳、使徒言行録2:1-4) キリストが約束された上からの力を受けようと祈って待っていた弱虫の弟子達が、大胆に福音を宣べ伝える人々に変えられたのが、上記の「聖霊降臨日:ペンテ コステ」でした。キリストの復活から50日目です。聖霊を受けた弟子達が語りだした神の言葉は、他国の人々の心にも響き、どの国の人々にも理解できたので す。「神の霊に導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によっ てわたしたちは『アッパ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」 (ローマ8:14-16 この福音は聖霊に動かされた人々によって世界中に宣べ伝えられ、アジアに、日本にと伝えられてきました。今日、特にアジアなどの異なった宗教を持つ国で、 どのようにキリストを宣べ伝えるべきでしょうか?日本のキリスト教は日本の宗教や文化を「異教」として否定する閉鎖的な体質を持っていました。世界の普遍 宗教である仏教、イスラム教、そしてユダヤ教、などは歴史が古く偉大な教えで人類を導いてきました。本来、相互の愛と平和を説いている宗教が、歴史上対立 や争いをし、憎しみや誤解の原因となった事は悲しむべき事実です。今日、宗教がお互いの独自性を尊重し「対話」によって相互協力し、世界平和、正義や人 権、環境問題など世界の人々の重荷を背負って歩むことが求められています。 1) キリスト教と諸宗教との「対話」はキリスト教と他宗教との安 易な融合(Amalgamation) や折衷(Syncretism)を計ろうとす るものではありません。 2) 「対話」は信仰を明確にし、深めるものです。我々は自分自身の信仰を強め、豊かにし、確信を持った真のクリスチャンになることが求められているのです。 3) 「対話」は他の宗教に対する否定的な態度を取り除くものです。宗教間の誤解や偏見を取り除くために努力すべきです。 4) 「対話」はアジアにおいて特に大切です。キリスト教はアジアで排他的で戦闘的であると思われています。他者に対する傲慢な思いや敵対心を取り除くためには 「対話」が必要です。 では、キリスト教信仰において他の宗教との共同の根拠はどこにあるでしょうか? 1) すべての人は神のかたち(イメージ)に創造されたものとして 互いに結び合わされています。 2) キリストの働きはすべての人をあらゆる束縛から解放し、人間としての自由を回復するものです。 3) さらに、聖霊の働きは広くすべての領域に及んでおり、諸宗教の信仰を持つ人々の中にも働いているのです。 以前にも紹介しましたが、長年に亘り世界教会協議会(WCC)で働いて来られたスリランカの神学者で、現在Drew神学校教授のウエスレーアリアラジャ 先生は著書“Not without My Neighbour”の中で他宗教の隣人と共に生活しているアジアのクリスチャンたちについて、次のような大切な問いかけをしておられます。 「対話は直ちに葛藤を解決するものではありませんが、人々がお互いの違いを知ることによって、相手を脅したりするのではなく、「自然で: natural」、「当たり前な: normal」事として、民族人種宗教の壁を越えて「会話のコミュニテイー: community of conversation」、「心と精神のコミュニテイー: community of heart and mind 」を築くものです。対話は人々が「違っている事: otherness 」を理解し受け入れる事を助けるものです。対話は人々が複数の中(大勢の中)での「アットホーム感」を作り出そうとするものであり、多様性を感謝し、社会 的崩壊の危機にあってもお互いに連携しようとするものなのです。」(Dr. S. Wesley Ariarajah,“Not without My Neighbour” P.13-14 「なぜミッション(宣教)が必要なのでしょうか? 神様は我々の隣人(他宗教の)と共に居られるのでしょうか? それとも居られないのでしょうか?もし神 が我々の隣人の生活(人生)の中に居られないのなら、「神はすべての人々を愛しておられる」という我々の信仰はどうなるのでしょうか?もし神様が居られる のなら、この神の愛のメッセージは我々の隣人の宗教生活とどう関係を持つのでしょうか?ミッションのあとには何が必要でしょうか?いつミッションが成就し た(完成した)と言えるのでしょうか?ミッションとは何でしょうか?それは弟子作りでしょうか?癒し?新しい生命?あるいは「救い」でしょうか?もし救い だと言うのなら、救いの制定は何でしょうか?救われたという「しるし」は何でしょうか?」(前掲書P.125)「わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者 が、皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行なう者だけが入るのである。」(マタイ福音書7:21 教会形成は聖霊の働きです。教会を変革したいからと自分の考えを押し付けたり、批判ばかりして他の意見を聞かないようでは、伝道も真の教会形成も出来ませ ん。初めに立ち返り聖霊の導きを受けるために共に祈りましょう。我々の教会では毎年素晴らしいペンテコステを守り、教会再出発の時としています。今年の聖 霊降臨日(ペンテコステ)礼拝はタイ改革派教会のDr. Jang Tessalee先生に説教していただきます。純粋なタイ人で熱心な仏教徒の家庭からクリスチャンとなり両親に勘当されながらも、牧師と結婚し福音宣教に 励んでおられる女性です。アジアのクリスチャンとして共に聖霊を受けて宣教に再出発しましょう。彼女の力強いメッセージは聖霊の働きを実感させてくれるで しょう。是非皆様ご参加下さい! .