あなたがたは、わたしを愛しているならば

04月 27日 2008年 | カテゴリ: 未定 | コメント: 0 »

牧師:相良昌彦

あなたがたは、わたしを愛しているならば

ヨハネ14:15

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る(ヨハネ14:15)

主の「掟」とは、私たちを拘束する規則なのでしょうか。いいえ、それは単なる規則、規範ではなく、私たちへの神様の祝福なのです。なぜなら私たちは主な る神様から命を与えられている存在であるからです。神様は、どの瞬間においても新たな命の息吹ももって私たちを満たしてくださいます。だからこそ、私たち は主に愛されていることを、互いに命の祝福を祝うことが出来ることを知る者であるのです。この私たちは、主なる神様の眼差しの中では、美しく、価値ある存 在なのです。そのことを聖書は始めから私たちに告げています。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よAそれは極めて良かった(創世記1: 31)。」主の愛と慈しみが私たちから離れることは決してないのです。私たちの不幸は、自分の存在や生活に、自らの努力や想いを通して意味を見出そうと忙 しくしていることかもしれません。そのような有様の中で、私たちは徐々に、神様の御姿にこの私たちが造られ、祝福を互いに分かち合えるよう生かされている ことを忘れてしまっているのではないでしょうか。だからこそ、この私たちに神の独り子、主イエスの十字架が示されたのです。私たちは、主の十字架の救いに よってのみ、主なる神の変わることのない愛の内に取り戻されることを知らなければなりません。主イエスの十字架の苦しみの御姿によって、復活の主に御声を かけられる幸いによって私たちに伝えられる真実です。その時、私たちは互いに主なる神の御姿に造られた幸いを分かち合えるのです。与えられている温かさ を、そして主にある生き方を喜び合えるのです。私たちこそが、この世にあっては神の愛と御心の見える形、姿なのです。そしてこの祝福は、教会に招かれ、主 イエスを慕う者たちだけで分かち合う幸いではありません。使徒言行録は「世界とその中の万物を造られた神」が「すべての人に命と息と、その他すべてのもの を与えてくださる(使徒17:24-25)」ことを告げています。「すべての人」と分かち合う幸いが今朝示されたのです。「わたしの掟を受け入れ、それを 守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す(ヨハネ14: 21)。」この主の約束は、もう私たちの只中に現われています。この祝福の内にある、私たちは神の民なのです。

心を騒がせるな。神を信じなさい。

04月 23日 2008年 | カテゴリ: 未定 | コメント: 0 »

牧師:相良昌彦

心を騒がせるな。神を信じなさい。

ヨハネ14:1

「心 を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしも信じなさい(ヨハネ14:1)。」主イエスの御言葉です。「心を騒がせる。」ここには私たちの不安定さ、 心の中の不安が表わされています。私たちの心も頭も想い煩いにいっぱいに占められる時、私たちの想いは乱されます。時に自分でも理解出来ない不安や恐れと 共に生きなくてはならないのです。その私たちに主イエスは語りかけて下さるのです。主なる神様が私たちと共におられること、私たちが常に主なる神様の臨在 によって守られ、養われていることを。神様の生ける御言葉は、私たちの胸に置かれ、私たちを生かすのです。今朝私たちは良き知らせによってここに招かれま した。主イエスはよみがえられたのです! だからこそ今私は救われている。この私は神様の子として神様ご自身に数えられ、覚えられているのです。私たちと 共に歩んでいてくださる主イエス近く生かされることを通してこそ、主なる神様への信頼と信仰が備えられること私たちが知るとき、この私たちは主の平和の内 に互いを招きあう生き方を通して、主なる神様の御名に栄光を帰することが出来る者とされるのです。私たち一人一人にとって、創造の神、救いの神、そして養 いの神様と共に生きることへの招きは極めて重要なのです。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように 与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな(ヨハネ14:27)。」 これが主イエスが私たちに与えてくださる平安です。今私たちの只中にある神の国 に生かされる平安です。主イエスの御言葉は常に、主の約束と共に私たちとあるのです。「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうし て、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう(ヨハネ14:13-14)。」私たちを主イエス へと近づける勧めに聞きましょう。「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになる ためです。あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました(1ぺトロ2:2-3)。」 私たちこそ、主イエスキリストを通して、神の国に生き る祝福を味わい、分かち合う者なのです。すべての人たち、神様が救おうとされ、主の祝福と平和の内に豊かに生かそうとされるその一人一人と。「心を騒がせ るな。神を信じなさい。そして、わたしも信じなさい。